サザエさんの作家長谷川町子さんは佐賀県多久市に生まれ、お父さんの事業開業にともない福岡市春吉に転居しました。高等女学校のときにお父さんを亡くし、叔父をたよって東京に移住します。東京で空襲が激しくなり、昭和19年に福岡市西新のお父さんが建ててあった家に疎開し、西日本新聞編集局絵画課に入社します。昭和21年に夕刊フクニチが西日本新聞から発刊されて、連載漫画サザエさんを載せることになりました。サザエさんの登場人物がみんな海産物になったわけをご存知の方もおられると思いますが、サザエさんが住んでいた西新の家から百道の浜辺はすぐ近くで、病気療養中の妹さんにつきそってよく百道の浜辺を散歩していて思いついたそうです。昭和20年代初めの百道の浜辺は百道中学校の校歌に詠われているように、白砂青松の美しい浜辺で当時はまだ塩田が残っていました。しかし、浜辺には磯はなく、恐らく遠くに志賀島や能古島の磯を思い浮かべ、はるか彼方の玄海灘に思いをはせていたのだろうと想像しています。実はサザエさんが住んでいた西新の家に、その後、やまさんの子供のころからの親友のK君が住んでいました。純日本建築のお屋敷で、立派な書院造の客間がありました。K君とは西南学院前の通りでセミ取りをしていて知り合った仲で、彼の家には我が家のように遊びにいっていました。学生のころは仲間とマージャンをしたりアルバイトの打ち上げをしたり、青春時代の想い出深い家でしたが、最近取り壊されて現在は駐車場になっています。
昭和20年代の百道の浜辺が偲ばれる写真(昭和30年百道中学校卒業アルバムより複写:松林がある運動場と、その先にある浜辺とかすかに見える能古島。潮の満ち引きで広さが変る珍しい運動場でした。現在浜辺はよかトピア通りの下に埋まってしまいましたが、松の木は大きく育っています。) |